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日々

さくらの家 木工事

2024-06-15
カテゴリ:新築,さくらの家
茶道と茶室
【さくらの家 木工事】


6月になりやっとこ現場入りできました。(千枝美がです)


現在は、大工工事(木工事)の真っ最中。

むき出しの下地材に囲まれて大工さんは・・お食事中でした(笑)

見習いの大工さんもいらっしゃり!期待の星!



さて、この家にはお茶室があります。
奥様のご趣味で設計に取り入れることになった茶室。

現代では、何事も楽しむ余裕がなくなってきている日本人。
茶室のある家を建てておるのを見るのが(私は)初めて!
少し、茶道をかじっっていたとはいえないのですが、保育士時代に子どもたちと茶道を習ったこともあり興味深々です。


茶道はルールがとても確立しており順番がある作法を滑らかに行い、その作法からもお客様をもてなしていく堅苦しいイメージでした。
(茶室に入る足の順番や左右も決まっていた気がします)
今回、社長が設計のために購入した本によると「本来は自由。ではあるものの設計するにあたっては《型》を知らなければならない。さらには茶の湯の造形に秘められた意味の理解が深まればなおよい」
基礎を理解すれば設計が広がることが分かります。
また、茶室の魅力は独特な造形にあります。
小さく、素朴。
大きい広い部屋ではなくより小さいものを追求し、四畳半から生まれた茶室は二畳敷というこれ以上縮めようのない空間を生み出し、お客様と亭主のみに用意された空間を作ったこともあったそうです。
そこにおもてなしの心が詰まっているのです。
また、四季折々の美しい景色を最大限取り入れた茶室は日本ならではの建築といえるでしょう。

今回のおうちの茶室は四畳半。

ぜひ出来上がったらお茶を頂きたいです。(作法はごめんなさいですが)



~流派~

よく聞く茶道の流派・・・現在の茶室の基本ができたころ。(桃山時代)には、いわゆる流派などはなく、さらに流派として確立する前に茶室はもう存在していたそうな。

千利休の孫である千宗旦は、その頃はやっていた小堀遠州らの茶室とは違って、利休の厳しさを伝える空間を提唱していた。そして宗旦の三男江岑宗左(こうしんそうさ)が不審菴表千家、四男仙叟宗室(せんそうそうしつ)が今日庵裏千家次男一翁宗守(いちおうそうしゅ)が官休庵武者小路千家を開いた。そして高弟の山田宗徧、杉木普斎らも町民たちに茶の湯を広めた。

また元禄の頃には、茶道の本が発行され、家元制度を確立するのに多いな意味をもった。
これらが作用して江戸時代に流派が固定される方向になっていった。

違いは、千家流は手前座に対して縦に畳を敷く、手前座周りの袖壁の下の壁留が竹、二十棚が同寸
武家隆では、畳を横に敷く、手前座まわりの袖壁の下の壁留が削り木、二十棚が上が大きい雲雀棚

出来上がりが楽しみです!



千枝美















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